子どもの才能を伸ばすのに重要な5つの要素とは? – GIGAZINE

2019年03月11日 07時00分 メモ By microgen子どもの教育は両親にとってだけでなく、国家の未来を決定しうるほど重要な問題です。才能は生まれつき人に備わっているものだと思われがちですが、子どもの才能は教育によって伸ばすことが可能です。ネブラスカ大学リンカーン校で教育心理学に務めるケネス・キーウラ教授が子どもの才能を伸ばす5つの手法を紹介しています。5 ways to develop children's talentshttps://theconversation.com/5-ways-to-develop-childrens-talents-111041「才能は珍しいものだ」と信じている人もいるかもしれませんが、(PDF)思考の六段階モデルなどで有名なアメリカの教育学者のベンジャミン・ブルーム博士は6つの異なる分野において天才を研究した結果として、「世界のほぼすべての人が適切な教育を受ければ成長できる」と主張しています。ブルーム博士によると、「幼い頃から努力を始めること」「専門家の指導」「計画的な練習」「優れた練習環境を持つこと」「子ども自身が熱中すること」の5つの要素が重要になります。◆1:幼い頃から努力を始めること才能を開花させるには、何事も幼い頃から始めるべきです。チェスやフィギュアスケートなどの多様な分野で活躍する天才たちを調査したところ、24名のうち22名が2歳から5歳までに英才教育を受けていたとわかりました。 By Rawpixel専門家である親が自ら子どもに英才教育するケースもあります。全米を代表するバレーボール選手であるローレン・クックさんもその1人で、幼い頃から全国選手権でバレーボールを指導していた経験を持つ父親のジョン・クックさんの指導を受けていました。一方で、自分にまったく関わりのない分野に子どもが興味を示した場合にも、我が子に英才教育を施す努力をしてくれる親もいます。アドーラ・スヴィタクさんの両親は作家ではありませんでしたが、幼いアドーラさんに毎日1時間以上も本を読み聞かせて育てたところ、アドーラさんは読書に興味を持つようになりました。 By Lina Kivaka両親はアドーラさんの本の執筆を促したり、本の出版を手伝ったり、あらゆる協力を進んで行いました。その結果、アドーラさんは11歳までに2冊の本を出版し、世界中で百を超える公演をするほどにまでなりました。◆2:専門家の指導専門家の指導を受けさせるために労を惜しまない親もいます。チェスのグランドマスター、ケイデン・トロフさんはわずか3歳のときに父親や兄がチェスをプレイしているのを見て、チェスを学びました。父親はものすごい速度で上達するケイデンさんのために、本を読んだりビデオを見たり努力を重ねます。 By nexusplexusしかし、次第に父親ではケイデンさんの相手にならなくなり、父親はケイデンさんにインターネット越しにチェスのグランドマスターの授業を受けさせることを選択。ケイデンさんの両親は、通常の勤務時間外に投資家に代わって株式や債券を管理するカストディアンとして月に30時間以上働き、ケイデンさんのために1カ月300ドル(3万3000円)の授業料を捻出しました。◆3:計画的な練習天才はトレーニングをするとき、必ず目標を立て、決して手を抜くことはありません。水泳のアメリカの州代表選手キャロライン・ティエルさんは「水泳を全く知らない人はプールを数往復して練習が終わりだと思っているかもしれませんが、実際には、思考は全く働かないのに、身体の痛みと息切れと吐き気を超えても泳ぎ続けます。疲れ切って、全身の痛みに苛まれ、モチベーションを探すのが難しくなります」と水泳の練習がいかに辛いかを述懐しています。 By Pressmaster◆4:優れた練習環境を持つことロデオの全米高校選手権のチャンピオンジェイド・アトキンスさんの両親は馬専門の調教師であり、優れた血統の馬や、ロデオの試合のために馬を運搬することができるトレーラーを持っていました。ジェイドさんの家は生まれながらにしてロデオの才能を育むことができるような環境でした。 By tcdeveloperしかし、生まれながらにして恵まれた環境にいる人は稀で、優れた練習環境が近くにない場合は、家から離れてでも優秀な練習環境を提供できる場所に行くべきです。テニスの4大大会のうちウィンブルドン選手権と全米オープンを制覇した経歴を持つジャック・ソックさんは週末には片道何時間もかけて隣の州にある、多くの才能ある子どもたちが集まるテニスの専門教室に通いました。両親が手助けしてあげれば、才能ある子どもたちはまるで導かれるように高いレベルの環境に集まり、そういった集まりは才能を伸ばす助けになります。◆5:子ども自身がのめり込むことチェスに熱中していた少年の両親が学校の成績が悪かったことを理由に少年からチェスを取り上げたところ、少年は魂を抜かれたと思えるほど哀れな状態になってしまったそうです。両親に少年がそれほど絶望してしまったか理由を尋ねたところ、「間違いなく、あの子はチェスを物凄く楽しんでいるんだ」と語りました。才能を育てるには、子どもが自ら熱中するということが大切です。 By microgen子どもの才能を伸ばすことに取り組んでいる両親について、キーウラ教授は「練習を押し付ける両親もたくさんいますが、私が調査した両親は、子ども自身が情熱を持って取り組んでいることを見守って手助けすることしかできないと理解していました。何時間も子どもを送り迎えしたり、練習のためにお金を出すのは両親しかできない仕事です。そして何より、そういった両親は自分の子どもを愛し、子どもの願いを叶えてやりたいと思っているからこそ、手助けしているのです」と語っています。 この記事のタイトルとURLをコピーする -- to gigazine.net

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東京五輪後の日本のIT世界–「令和3年不況」は発生するのか – ZDNet Japan

 本連載「企業セキュリティの歩き方」では、セキュリティ業界を取り巻く現状や課題、問題点をひもときながら、サイバーセキュリティを向上させていくための視点やヒントを提示する。  第2次世界大戦後、日本経済は高度経済成長やバブル経済などを経験し、「失われた20年」以上を経て、2019年1月に戦後最長の好景気になったと報じられた。しかし、あまり給料は増えておらず、どこが好景気なのかよく分からないという意見や、物価や社会保障費も上昇しているので可処分所得が減っているという意見もあるだろう。少なくとも政府公表の月例経済報告によると、2019年の日本はそういう状況らしい。  この“統計上の”好景気を支えているのは、アベノミクスの成果やリーマンショック後に続いている世界的な好況など色々あるものの、現在の日本においては、2020年に開催される東京五輪という要因が非常に大きい。ところが、こうした国際的な大イベントの後には、必ずその反動があり、過去の五輪開催地の幾つかがそれを証明している。日本と東京も例外ではないだろう。  前回の東京五輪の翌年、1965年が「昭和40年不況」と呼ばれたことは、意外に知られていない。実際この年は、GNP(国民総生産、当時は現在のGDP:国内総生産ではなく国民総生産「GNP」が指標に使われていた)の実質成長率が前年(1964年)の13.3%から4.4%に急落している。2020年の東京五輪以降も、この歴史が繰り返されるのだろうか。今回から、そのような状況がITやシステム、セキュリティ対策にどのような影響を与える可能性があるのかをこの「東京五輪後の日本のIT世界」のシリーズで述べていきたい。 初の東京五輪翌年に起きた「昭和40年不況」  日本の高度経済成長期は1954~1973年までの約19年間と言われている。この間を詳しく見ても「神武景気」「岩戸景気」「オリンピック景気」「いざなぎ景気」「列島改造ブーム」などの各好景気が目白押しだ。そして、日本がGDPで世界第2位の経済大国になったのもこの時期である。控えめに言っても、この時期は近現代における日本の黄金期の一つだっただろう。  筆者が生まれたのは、19年間の高度経済成長が終わった翌年の1974年で、日本経済の大きな転換期になった「(第1次)オイルショック」の真っただ中である。さらに言えば、学生生活を終えて社会人になろうとしていた1997年は、北海道拓殖銀行の経営破綻と山一證券の自主廃業という、日本にとっては歴史的な金融危機が発生した。前者は都市銀行における歴史上初の経営破綻であり、後者も「四大証券会社」と呼ばれる超有名企業の廃業だった。生まれた時も就職する時も歴史的な大不況だった。なお、この1974年を含む数年間は、1年間に200万人程も生まれた「第2次ベビーブーム」と言われた絶対的な人数の多い世代でもあるが、この激動の時代感にはあぜんとするしかない。  話を戻そう。昭和40年不況は、東京五輪後の1965年に景気が下降し、1966年10月に底を打つまでの、ほんの1年間ほどの小さな不況期(それでも成長率は好況期の現在の2倍を超える4.4%)である。失われた20年などと評されるバブル崩壊後の低成長期とは比べものにならない。ただ、実はこの時にも上述の山一證券は経営危機に陥っていた。店頭では大規模な取り付け騒ぎが起きて、金融恐慌寸前の状態だったという。この時は、日本銀行が日銀法第25条(信用制度の維持)による処置として、無担保、無制限、無期限の融資(日銀特融)を決定したことにより、事態は沈静化した。いろいろな見方はあるが、少なくともかなりギリギリのところで恐慌や不況が回避されたという状況だったようだ。  このように、昭和40年不況は1年ほどで終了した。そして、この1965年は第2次世界大戦後として初めて赤字国債が発行された。矢継ぎ早な経済政策とその後のベトナム戦争特需などもあり、その後の日本は1973年までおおむね高度経済成長を続けた。 ZDNet Japan 記事を毎朝メールでまとめ読み(登録無料) -- to japan.zdnet.com

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